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乾燥大豆で作られる豆腐の旬は?

今でこそ、冷や奴など夏の代表的な食べ物となっている豆腐ですが、技術のなかった昔は、おもに冬のものとして食べられていました。

豆腐売りが現れた室町時代

豆腐が庶民に食べられるようになったのは室町時代のことで、それまでは、殺生のできない僧侶たちの食料として作られていたようです。初めて京都に豆腐売りが現れたのも室町時代のことです。豆腐は奈良で作って運び、京の路上で売られていました。この様子は室町時代の『71番職人歌合』という絵巻物のなかに描かれています。当時は京よりも奈良のほうが、豆腐の本場でした。夏は奈良から京へ運ぶまでに、豆腐が悪くなってしまうので、冬の間しか行商はできませんでした。昔の人の書き物に豆腐が出てくるのももっぱら冬のこと。『71番職人歌合』にも、豆腐は冬のものとして歌われています。製造技術が伝わり、店を構えるようになって、やっと1年通して食べられるようになったのでしょう。

では、豆腐に旬はないのかというと、そうとも言い切れないようです。原料となる大豆は、夏大豆、秋大豆、中間大豆と収穫の時期によって種類が異なります。豆腐用には、おもに大量にとれる秋大豆を使います。10月に収穫した大豆を乾燥して、豆腐用の「新豆」として出回るのは年末から年明けにかけてです。新鮮な大豆を使って作るこの時期が、いわば豆腐の旬と言えそうで、なめらか肌と舌触りに違いが出ます。

大豆が古くなると、いわゆる「古米」と同じように質が落ちます。ちょうど梅雨から土用にかけての蒸し暑さに大豆が酸化してしまうので、業界ではこの時期を境に「ひね豆」と呼び、「新豆」と区別しています。ただし、豆腐屋も大豆を浸けておく水の量を多くしたり、貯蔵技術が進んだ今では、低温倉庫に大豆を保管したりと、ひね豆対策をしています。ですから、梅雨を過ぎた豆腐が新豆で作った豆腐よりも劣っているかどうか、本当にわかる人は少ないでしょう。

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