日本豆腐協会は、日本を代表する豆腐製造業者から成り立っている組織です。
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日本に豆腐の製造法をもたらしたのは、遣唐使!?

日本に豆腐が伝えられた経緯については、いくつかの説があります。

豆腐と「遣唐使」

もっとも有力なのは、奈良時代から平安時代にかけて遣唐使として中国に渡った僧や学者たちが、豆腐の作り方を教わって日本に持ち帰ったという説です。

当時の唐は、いまでいう先進国。遣唐使の使命は、その進んだ中国の学問や技術をできるだけ多く吸収してくることでした。その中には、味噌や豆腐などの食品加工技術も当然含まれていたかもしれません。

ただ、奈良や平安時代の文献には、豆腐のことがほとんど登場しません。日本でもっとも古い豆腐の記録は、平安の終わりごろに書かれた奈良・春日若宮の神主の日記に「唐府」と書いてあること。これは、今日の豆腐のあて字でいうことはいうまでもありません。

さらに日蓮上人が書いた手紙の中に「すりだうふ」とあるのも、古い例の一つといえます。ただ、13世紀ごろの文献に、豆腐をくずして加工したことが出てくるのを推測すれば、この時代に相当に豆腐が普及していたとも考えられます。ちなみに、14世紀以降は、豆腐の記載が急激に増えてきます。

朝鮮からの技術?

さて、この中国からの伝来説とは別に、朝鮮から技法が伝えられたという説もあります。四国の土佐(高知県)に、文禄慶長の役(戦国時代)に長宗我部元親が朝鮮から捕虜を連れて帰り、豆腐を作らせたという記録があるからです。

この朝鮮の豆腐は硬い豆腐が一般的。土佐の豆腐も、朝鮮式なので硬いのが特徴です。石川県の堅豆腐も、これと同じ系統に分けられるのかもしれません。

中国、朝鮮どちらのルートにせよ、日本に入ってきた豆腐は、はじめは寺院で食べられ、禅僧たちの精進料理の中でさまざまに工夫をこらされました。そして室町時代末期にはかなり普及していたことが、さまざまな文献から推測されています。

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